時々錯誤 新年のご機嫌

年が明けた。区切りのいい時期である。新しく目標を立てたり、それを振り返って次に繋げたりすることの多い季節でもある。

例にも漏れず、私も目標を立てた。世界を広げることである。この3年くらいはかなり狭い世界の中で、世界を知るということを知ろうとしてきた。それに慣れてきたことに加えて、時間をたくさん使える最後の年でもある。スケールを広げようと思い立った次第である。

とは言いつつも、年が明けて10日と少しが経った今となって、迷いが生じつつある。正月の自分の思慮の浅さには、やれやれといった気分だが、それを言っても仕方がない。迷いが生じているのはただ一点、世界を広げることで、何かを失っているのではないかと感じるからである。

狭い世界で過ごしてきた私にとって、数少ない世界の一つ一つは、それぞれが私の全てであった。持てる全てを一つ一つの世界に捧げても、まだ余力がある。時々イベントが発生すると、一時的には追い込まれるが、暫し過ごせばまた戻る。だからこそ、向き合う全てを究めようとし、悪くいえば拘ろうともしていた。持てる世界が狭いからこそ、それぞれの世界という引き出しと引き出しをつなげることに長け、上下左右へと連なる、「考えることという形」が私の中に確立していった。

しかし、世界は広がりゆくものである。広がった世界は、やがて隣の世界と衝突する。今まで知りもしなかった、溢れんばかりの感情と体験を両手で抱え込む日々が訪れる。それは指数関数的である。しかし、広がる世界を満たす物質は、磨き上げられてきた思考と思想を、少しずつ希釈させていったのかもしれない。

食べ物が我々の体を成すように、情報は我々の思考を成す。世界が狭いうちには、取りきれる情報に限りがある。だから哲学は隆盛し、宗教は勃興し、倫理が形成されたのである。しかも、多様な形で。しかし現代、それは均質化している。私の世界が広がりゆくのと同様に、世界の世界も広がり続けている。多様だったはずの学と価値観は混ざり合っては薄まり続けている。上澄みだけが全力で宣伝され、宣伝された上澄みに世界は惑わされるばかりである。世界の世界で起きていることと同じようなことが、私の世界の中でも起きている。入る情報が増えすぎたことで、一つ一つの情報から得られる養分が減っている。過食は胃腸に影響を与え、やがて消化に影響を与える。同じように、過分な情報は頭脳に影響を与え、やがて貪欲な知的欲求を減衰させる。

広がりゆく世界に対するネガティブな感情は、本質なのか。それとも、鎖国をやめた国が一時的に抱く拒否反応に過ぎないのか。歴史に答えを求めれば、進むべき道は見えてくる。

貫通錯誤
カードゲームとボードゲーム(ゴールデンエッグラー,mtg,シャドバ,Blade Rondo,自作など)を嗜んでいます。カードゲーム、音楽、動画についてなどと、根強いファンを誇りたいショートエッセーの現代錯誤という連載を書いていきます。
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