こんばんは。自己満足の具現化。毎週木曜日にお送りしている現代錯誤のお時間です。
豊作貧乏という言葉はご存じですか?豊作とは本来いいことなわけですが、あまりに多くの収穫量をあげてしまうと需要と供給の関係からして作物の単価が下がってしまいます。すると、取れた分をすべて売るよりも、多少廃棄したほうが結果的に儲かるなんて言う悲しい事態が起こることがあるのです。これを豊作貧乏と呼びます。
さて、豊作といえばトビログのPVが順調です。最近はインスタもはじめまして、ここからの流入もあったりなかったりみたいです。うれしい限りですね。
インスタを使っているから当然映えを狙っているのか、というとそうでもありません。残念ながら(?)淡々と猫の写真をアップロードし続けているだけなので我々が使いこなせているか相当に怪しいところではあります。「インスタ映え」、難しいですよね。
「インスタ映え」もそうですが、「エモい」だとか、もはや定着しきっている「ヤバい」なんていう言葉はとても広い意味を持つ言葉ですよね。だからこそ「インスタ映え」を狙うにしてもやることが一つに定まっていなくて難しいのだと思います。
こういう幅広い意味を持つ言葉は概して最近誕生しています。「言葉は生き物だ」なんてよく言われますからね、新しい言葉がどんどん生まれて新境地を開いていくことは、善悪を通り越して普遍的であるわけです。
また、特に現代ではインターネットやSNSの発達で情報の発信拡散速度が格段に上がりましたから、今後も新しい言葉、いわゆる流行語が生み出されるスピードは上がり続けることでしょう。まさに現代は「言葉の豊作」状態にあるわけです。
伝統的な日本語学者なんかは新しい言葉の誕生や「ら抜き言葉」「さ入れ言葉」「コンビニ敬語」みたいなものに否定的だったりします。一方でそうした意見に対し、前述したように「言葉は生き物なわけだから一概に否定すべきでない」とする人もいます。
僕としても、いくら日本語学者がこの状態を否定したところで止められる文化でないように思えますし、ただ眺めることしかできない問題なのではないかと考えています。そもそも、僕は「言葉は生き物」側に近い意見を持っています。「あお」だって昔はGreenも包含していたのがいつの間にかBlueを示す意味がメインになりましたからね。「みどり」は新しい言葉なわけです。それを否定してはいけないかなと思います。
しかし、しかしですよ。「インスタ映え」「エモい」「ヤバい」が多用される現状を僕はヤバいと思っています。今まで「危機的である」「凄まじい」「唖然とする」「綺麗」「かわいい」「かっこいい」「上手」といった言葉で表現されてきた概念が全て「ヤバい」に集約されしまっています。これがヤバいなと思うわけです。なぜなら、こうした表現が増えることで日本語の表現の持つ厚みが失われしまうからです。ヤバいですよね。
日本語には「それいつ使うんだ」といいたくなるようなヤバいくらい用途の狭い表現がいくつもあります。加えて、文章の作法でも触れているように日本語は細かな語順が定められているわけではありません。語順が違うと文章のニュアンスも異なってきますよね。このあたりの日本語の特色が持つ細やかな差異をもたらせるフレキシビリティが日本語を柔軟たらしめているわけです。そんなせっかくの特色が失われてしまえば、いくら新しい言葉が増えて「豊作」になったとしても日本の文化が「貧乏」になるのではないかと不安なわけです。せっかくのヤバさを持つ日本語が今ヤバいという話でした。
これは本題と全く関係ないんですが、「ヤバい」「エモい」みたいな広い意味を持つ言葉ってほかの言語にも特に最近に多く誕生していたりするのでしょうか。というのも、日本でこうした言葉が広がりやすい背景に日本人の「察する」文化があるのではないかとにらんでいてですね。つまりは相手の言うことを常日頃から察し続けてきた国だからこそ、いろんな意味を含むヤバくてエモい言葉たちの意味を瞬時に理解でき、それがこうした言葉の拡大に貢献したんじゃないかという。(ついでにこうした言葉は意味の解釈を相手にゆだねていますから、発言者の「真意を伝えなくてはならない責任」を相手に擦り付けることができます。こういう点でもヤバくてエモい言葉はヤバいくらい日本人と親和性が高いのです。)ヤバくてエモい文化が日本特有かあるいは日本で顕著ならこの仮説もいい線行きそうだなと思うんですが、はてどうなんでしょう。
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