概要
自由律俳句を楽しむ会第2回の結果発表です。
自由律俳句を楽しむ会について、また第2回の概要についてはこちらをご覧ください。
ちなみに今回のお題は「寂しさ」でした。
結果発表
順不同です。順位はつけていません。
文量の違いも作品の優劣に関係ありません。
・影はまだ手を繋いでいるのに
(みよおぶ さん)
この俳句を詠むと、夕日が二人の影を伸ばしているシーンがぱっと浮かび上がる。
その浮かび上がったシーンに対して、自分の経験を重ねてみたり、これからの自分の人生を想像してみたりすると、実にいろんな楽しみ方ができる句だ。
ちなみに自分は「いつか自分の影に嫉妬する日が来るかもしれない」、そんなことを思った。
・譲った席が空いている
(中村まふゆ さん)
優しさが空回りしてしまった時、どこか気持ちが寂しくなる。意を決して席を譲ってみても、相手が必要としなかった場合、自分の何かを否定された気持ちになってしまう。
しかし、たとえ空回りで終わったとしても、あなたが席を譲る光景を見た人の気持ちは確実に温かくなっている。あなたのような優しい人が存在していることを知り、この世界は捨てたもんじゃないと思える。
そう考えれば、この空回りも誰かの役に立っているし、積極的にみんなで席を譲りあっていこうという気持ちになる。
・機械は「おかえりなさい」と言ってくれる
(尾内以太 さん)
浮かんだ情景は二つ。
一つ目は、仕事からヘトヘトになって帰ってきた一人暮らしの人に、「おかえりなさい」と機械が言ってくれるシーン。機械だけでもそう言ってくれるのはありがたいが、生身の人の温もりにはかなわず、どこか寂しさを感じる人が思い浮かぶ。
二つ目は、家族の生活を支える父親が帰宅したシーンだ。一生懸命働いて帰ってきても、家族は誰も「おかえりなさい」と言ってくれない。しかし、機械だけは「おかえりなさい」と言ってくれる。これも立派な寂しさだ。
・寂しさは山中ぽつり違う木のとき
(柳泉洞 さん 32歳)
例えば、山にたくさんの杉が生えている中一本だけ松が生えていた場合、この句はその松の気持ちを描いているのだろうか。そうであれば、これは何かのメタファーで、自分の寂しさと木の寂しさを重ね合わせているのだろうか。この句の意図を考えれば考えるほど奥行きが増していく感覚になる。
そして、この俳句の魅力はリズム感だ。「ぽつり」のしらべが絶妙に気持ちよく感じる。
・好きな女優が個性派のくくり
(白とり貝 さん 32歳)
「寂しさ」の形はいろいろあるが、「なるほど!このパターンもあったか」と思わせてくれた句だ。確かに自分の好きな女優が個性派にくくられていると、どことなく寂しさを感じる。自分の好きなバンドや作家が誰にも認知されていないと、「どうしてみんなわかってくれないんだ!?」という気持ちになってしまう。しかし、それを友人などに紹介するのも自分の嗜好を押し付けているようで気が引けてしまう。
・誕生日に届いたDMが誕生日を知らなかった
(ひらめきウインナー さん 39歳)
何となく何かに期待してしまう誕生日だが、その期待が叶ったことはほとんどない。自分の誕生日なんて相手は知る由もなく、普通にいつもと何ら変わりない一日を過ごす。そうして、毎年年を取っていくのかと思うと寂しくなる。
・各店30個限定お1人様2個までがまだある
(しろとも さん)
スーパーで見つけた寂しさを詠んだ句だろうか。「店主は売れると見込んで張り切っていたのに、予想は外れしまい、がっかりしているシーン」や「ちょっとさびれた外観のスーパーで、昔は栄えていたものの、最近は町の人口が減ってお客さんも少なくなっている現状」などが頭に思い浮かんできた。
・盛り上がれなくてすするモヒートが薄い
(あつし さん 27歳)
「モヒートってなんだ?」と思い調べてみると、どうやらカクテルの事らしい。未成年の僕がまだ知らないのも当然のことだ。
「周りは盛り上がっているのに、自分だけが盛り上がれない状況」は寂しさの代表であるが、そこに「すすったモヒートも薄かった」というのは、この人の個性が見えてくる。
僕で言うと、自分だけ盛り上がれないクラス会で、焦げてしまった焼き肉をちまちま食べていたときのことがこの俳句に重なった。
この俳句を作った方の歳は27歳ということで、自分も10年後くらいにそういう経験をする日が来るのかと思うと、鑑賞しているだけなのに寂しさを抱かざるを得ない。
・小学生を横抱っこして揺する
(サン津軽がぶり さん 41歳)
僕はまだ子供で、こういう親の視点からみた作品を見ると、ハッとさせられる。まだまだ自分にはわからないことがあることを改めて認識させられる。
そういえば、幼稚園生くらいの時はスーパーにいくと必ず母親と手を繋いで歩いていたし、寝る前は必ず父親とハイタッチしてから布団に入っていた。この事実を親はどう捉えているのだろうか。
そんなことも考えさせてくれた。
・遠くまで来た同じ町の標識
(雷 さん)
全く違う景色の中に、普段と変わらないものが一つでもあるとそれがきっかけとなり寂しくなってしまう。例えば、全然知らない街を散歩している中、その地域の中学校を見つけると、自分の中学校を連想してしまい寂しくなる。
標識は日本全国各地どこにいっても同じで、地元の記憶をふと呼び起こす象徴のようなものになっているかもしれない。
・病気なのに瘦せたと喜ぶ母の小さな背
(ゆりのはなこ さん)
今回数十句見させていただいた中で、一番寂しさを感じた句だ。諸行無常の響きを感じるとはこのことだろうか。
勝手ながら、一日一日を大切にしたいと思わせてくれた句だ。
感想
今回で2回目の開催だったのですが、1回目に引き続きたくさんの素敵な作品の応募がありました。ありがとうございました。
私事なのですが、今年の3月に高校を卒業し、今は大学での日々を送っています。高校から大学という新たな環境に変化し、将来への期待や不安などのいろんな感情があるものの、一番は「寂しさ」が大きいです。それに加えてコロナ禍ということもあり、新たな環境に慣れるのも難しく、かといって今までの友達と会うのもためらわれるわけで、寂しさとどう付き合っていったらいいかわからなくなります。
そこで今回は「寂しさ」のお題で募集し、みなさんの寂しさを知りたいと思いました。
すると、期待通り皆さん色んな「寂しさ」の形を自由律俳句で教えてくれました。18年ちょっとしか生きていない僕の人生には、まだまだ経験していない「寂しさ」の形があることを実感しました。
とてもいい時間を過ごさせていただきました。改めて、ありがとうございました。
僕の文章を読んで、少しでも楽しんでいただけら幸いです。
今後も続けていくのでよろしくお願いいたします。
次回の開催について
次回は「自由律俳句を楽しむ会第3回」です。
お題は「夏」です。
今回の寂しさとは対照的に夏らしさを感じる明るいものでも、はたまた今回と同じように夏独自の寂しさのようなものでも、何でも構いません!
匿名での応募も可能なので、どなたでも遠慮なく応募なさってください。
応募フォームはまた別の機会に掲載させていただくので、僕のアカウントのチェックをよろしくお願いいたします。
また、自由律俳句と同時にエッセイの募集も開始しています。そちらもよろしくお願いいたします。
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