時々錯誤 9/5

昔読んだ「ブログを続けるコツ」という記事に、「更新が遅れても謝罪しないこと」とあった。私の座右の銘である。

時間がなかったと言いたいところだが、その分寝なければ時間は捻出できる訳であり、言い訳としては弱すぎる。ただ、精神的余裕という意味で言えば、ゆとりとしての時間は確かに少なかったのかもしれない。

(もう既に8月は終わっているので当たり前だが、)8月の特大イベントが終わったので多少のゆとりができた。久々に意味のない夜ふかしをし、良い音楽を探す時間がやってくる。

そう、いつだって、良い音楽に出会えるのは夜なのである。自らの手で良い音楽を見つけ出せるのは、決まって夜なのである。

同じように、良い音楽を作れるのも夜である。人工的な光と肌寒いくらいの風が、文字通り雑音を振り払ってくれる。シンとしたその静寂が、音への感性を尖らせてくれる。暗闇と無音が織りなす真空に放り出されながら、しかし、現実にしがみつくことで音楽は誕生する。

良い音楽家は音楽が夜にできることを知っているのだろう。だからこそ、良い音楽家は短命であると言われるのだ。

きっとそれは音楽に限った話ではない。日々の喧騒の最中にいては、作り出せないものがある。忙しなく進む周囲の時間を羨望し、あるいは劣等感に苛まれる日もあるだろう。そういう時こそ、矢印を自分に向けるが良い。恐ろしいほどゆっくり進む時間だからこそ得られるものが確かにある。それが音楽であり、絵画であり、文学であり、学問なのである。

社会と現実とにらめっこして戦うための術は実学と称される。その重要性は確かなものであり、否定こそしないが、実学だけを学ぶのでは教養は身につかない。

植物の実を食べるだけでなく、その中から種を探し出し、植えなければ、次なる木は生えてこない。ましてや、木が生えるための土壌を養うには、長い年月が必要になる。実学という実を大きくならすために必要なものを探せるのも、決まって夜なのである。

貫通錯誤
カードゲームとボードゲーム(ゴールデンエッグラー,mtg,シャドバ,Blade Rondo,自作など)を嗜んでいます。カードゲーム、音楽、動画についてなどと、根強いファンを誇りたいショートエッセーの現代錯誤という連載を書いていきます。
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