赤信号はみんなで渡っても怖い。現代錯誤のお時間です。
大通りと小さい道の交差点を想像してください。大通りを渡る側の信号(=小さい道の車)が青である時間は短いですよね。でも横断歩道そのものは長い。逆も然りです。
矛盾を感じませんか。
渡るのに時間がかかる横断歩道なのに、横にある渡るのに時間のかからない横断歩道より渡れる時間が短い。
なんとなく矛盾を感じます。
さて、本題はこれではありません。矛盾は矛盾ですが、筋は通っていますからね。今紹介したタイプの交差点だけ頭に入れておいてください。
さて、みなさんは信号を無視した経験はお有りですか。大抵の方があると思います。
今日私は「信号無視」の現場に2回立ち会いました。どちらも歩行者によるものです。(自動車によるものはそうそう遭遇できるものではありません。)
お昼の出来事をお伝えしましょう。先ほど説明したような、大通りと小さい道の交差点で、小さい道を渡る側の信号(=進行方向で言えば大通り)は赤でした。私は大通りに沿って歩いていたので、当然止まります。
しかし、一台として、小さい道を通る車が存在しません。
そうすると、横にいたサラリーマンは赤信号を渡り始めました。
結果として、私の渡りたい信号が青になるまでの間、小さい道を車は一台も通りませんでした。
一度「信号」のルールについて振り返ってみましょう。なぜ、赤信号なら渡ってはいけないのでしょうか。
「法律で禁止されているから」と答えたあなた、その答えは法律上正しいですが、論理上間違っています。
法律上、赤信号の無視がよろしくないものとされているのは、事故を防止するためです。
であるならば、一向に車の通る気配のない信号を渡ることに問題はあるのでしょうか。
間違いなく、法律上はいけないことです。でもこれって、目的と手段を履き違えているのではないのでしょうか。
私が赤信号を渡らなかったという選択は、手段にとらわれ過ぎているのかもしれません。
そうこう頭を悩ませているうちに夜も深くなりました。
私はなんの変哲もない交差点にたどり着きます。先程の交差点と違って、すべての道路について、車が通る気配が一切ありません。
私は信号を無視して道路を渡りました。
先程のロジックに当てはまれば、これは「目的」を重視した行為とみなすことができます。
昼に「手段」を重視したかと思いきや、夜は「目的」を重視する。私の行動は一貫していないように見えます。
無理やり論理づけるなら、昼と夜との「事故に遭う危険性」の差異に注目できます。
昼の事例では、大通りを車が走っています。もし仮に私が信号を無視したら、その車が曲がってきた時に事故に遭うこともあるでしょう。
夜の事例では、車の存在が皆無です。私がどんな行動をしようと、事故に遭う確率は限りなく低いと言えるでしょう。
でもこれって一貫した行動なのでしょうか。
私は自他共に認める論理武装オタクですが、意外と自分の生活の論理は破綻していました。皆が皆、赤信号を突き破る未来の先も、もしかしたら破綻しているのかもしれません。
※当記事を道路交通法違反の言い訳に使うことを禁じます
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