私はビンゴに強い。1位/30人→1位/7人→1位/13人→2位16人→2位/9人、これが直近5回の成績である。
私の強さの秘訣は効率の良さにある。決して、穴を多く開けられているわけではないが、しかし揃うのである。2回前は穴8つでビンゴ達成である。前回は、リーチがない状態から2ターンでビンゴを達成した。リーチ達成してからが長いタイプの人もいるが、全く縁遠い話である。
1ヶ月更新をしなかった時の言い訳としては、これほど無意味な文章の羅列もない。が、運の良さをアピールすることで解決することもあるのではないかと思った次第である。
嫌われる自慢の代表格は睡眠不足と多忙だが、記事執筆に至らなかった理由は後者である。裏を返せば、人間多忙である限り、文化的社会的な価値を創出できないということである。なぜなら、そうした価値を創出する暇もなく、実利的な価値の生産に迫られるからである。
しかし、人間誰しも多忙になる時期はある。社会生活を営んでいれば、身に降る予定の全てを管理できるわけがない。致し方ないことである。ただ、全てを管理できないまでも、大枠は管理できるはずである。が、不思議なことに、それすらままならないものも世の中いるものである。協働の場で、自己の予定すら管理できない者の尻拭いをすることが多様性だとして、それでもこの社会が成立しているのはひとえに資本主義の賜物である。尻拭いをすることで、プライドを代償に報酬を得る人間もいる。そういう人間を含めての多様性である。
本筋と逸れたが、恨みつらみが言いたいわけではない。本連載の読者ならわかるだろうが、貫通錯誤の興味の対象は人間の行動の原理である。ある種の人類が、予定管理すらままならないほどに責務を背負い込むのは、なぜなのだろうか。
議論の前に、心当たりの方にはキャパオーバーの連載を読んでいただくとしよう。
さて、責務を背負い込み、予定が破滅するに至るまでには、いくつかのステップがある。①なんらかの組織やコミュニティに所属する。②継続的な責務が発生する。③臨時の責務が発生する。④(不幸にも)各種の責務が積み重なる。⑤破滅する。
このステップに陥るにあたり、欠落している視点がいくつかある。
1つが己の責務遂行能力に対する評価である。責務の解決には、当然一定程度の能力が要求される。能力的な問題により責務を遂行しきれず、問題になるケースは少ない。大抵の場合、処理に要する時間を見誤っている。その原因は大きく2つ。1つが、準備時間を考慮していないことである。書類を作るにせよ、アナウンスをかけるにせよ、ミーティングを開くにせよ、実施に必要な準備について何も考えていない。直前に慌てることを繰り返していれば、破滅は近い。もう一つが、妥協を許さないことである。多くの責務には、解決にあたり一定程度の質的な水準が要求される。しかしそれが青天井であることはまずない。可能な限り質を追求せねばならない責務がある一方で、そうした責務を多く抱えているのならばそれが問題であるし、大抵の雑用的責務は一定水準を超えると自己満足の領域に過ぎない。自己満足の末に他者に迷惑をかけ、それにすら気づかない。何もしない方がマシである。
もう1つが、責務遂行の後回しである。上に列挙した原因により、大抵の場合いくつかの責務は要求期日までに解消できなくなる。責務の積読状態である。スタックするということは、スタックオーバーフローするということである。破滅。(ちなみに、スタックオーバーフローの使い方が正しいのかは知らない。なんとなく火を吹いていそうだから言ってみたまでである。)
そもそも、組織やコミュニティに所属するということの意味を理解できていない人間が多いような気もしている。一度何かに所属すると、そこでの参加継続のために要求されるタスクは当然にあるし、臨時でタスクが生じることもままある。参加自体はノーコストであっても、タスクはタイムラグのある状態で発生する。組織やコミュニティとはそういう関数である。それを理解せずに参加というスイッチを押すことが無責任な行動である自覚を持った人間は、案外いないものである。
そういう無責任な人間に振り回されに振り回されているのでこういう文章を書いているのだが、1つだけ言わねばならないことがある。私がこういう無責任な人間にならなかった理由はただ1つ、組織やコミュニティへの所属のお誘いが皆無だからである。これを「ラッキー」と定義するには、1500字に及ぶお気持ち表明が必要らしい。
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