時々錯誤 君(おじさま)と夏の終わり

人間は歩く時腕を振る生き物である。5歳の頃の私は右足を出す時、右腕を出すはずだと強硬に主張していた。逆だと気づいた7歳のあの日から私は両足を出すのとは逆の順番でせっせと腕を振って歩くようになった。

電車を降り、エスカレーターを登り改札に向かう今日の私も、同じように腕を振って歩いていた。

イヤホンをしていたがために気づかなかったのだが、どうやら私の後ろに高速で歩くおじさまがいたようである。左後方から高速で歩くおじさまは私との距離をあっという間に詰めると、私が左腕を後ろに振るのと同時に私の横に並び、私が左腕を前に振るタイミングで私の前に出た。いつもと違ったのは、私の左手がおじさまの臀部に直撃したことだけである。

危機管理意識で満たされている私の脳は瞬間的に考えた。これは痴漢に該当するのではないか。少し間をおいて、自己愛に満ちた私の脳は瞬間的に自己弁護した。これはアルティメット逆痴漢に該当するのではないか——。

これがスポーツなら簡単な話である。例えばサッカーのハンドなら、意図的であるか、支え手であるかなどが判断軸となり、基本的には明確な線引きが用意されている。しかし歩行者と歩行者の関係性にモラルはあってもルールはない。すなわち明文化されていない。

衝突の後、おじさまの方向を2秒間にわたり観察していたが、特段の反応すら示していなかった。もし意図的なアルティメット逆痴漢であったなら、平静を装うことが一種のステータスにつながらのかもしれない。もし偶発的な事故なら、おじさまは気づいてすらいなかったのかもしれない。いずれにせよ、おじさまの当時の意思はもうたどることすらできない。

などと考えながら帰路についていたら、いつのまにか到着していた。おじさまを想いながら帰る夏の日。

エモくはないが、悪くはない。——が、よくもない。

貫通錯誤
カードゲームとボードゲーム(ゴールデンエッグラー,mtg,シャドバ,Blade Rondo,自作など)を嗜んでいます。カードゲーム、音楽、動画についてなどと、根強いファンを誇りたいショートエッセーの現代錯誤という連載を書いていきます。
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