時々錯誤 10/23 頼られ依存

人に頼られるというのはそう悪い気のすることではない。一定程度の信用と期待がなければ生じない契約である。情緒と精神と機能のやり取りが生じうる、ごくごくありふれたコミュニケーションの一つである。

ただ、頼りすぎるというのは良いことではない。正確に言えば、人に頼られることに頼りすぎてはならない。

私自身も例外ではなく、人に頼られることが好きである。周囲からは実力にも自信にも満ち溢れていると認識されているだろうと思うが、内実は虚である。自分に自信がないのではなく、正確には自分の自分に対する評価に信用を置いていない。ゆえに常に他者からの評価が自分に対する評価に直結する。
だからこそ、頼られることが好きになる。頼られることは自分の自信につながる。頼られた際に断る選択肢はない。自信をつけるために筋トレをするのと同じである。

厄介なのは、人柄上、実力上でもあるが、人に頼られる機会の多いことである。キャパシティも小さいわけではないから、頼られてなお自己の生活くらい回すこともできる。余計に厄介である。

さらに厄介なのは、頼られるということが自らのリソースを他者に捧げることを指すところである。恩着せがましくありたいとは思わないが、しかし、礼節を大切にするきらいがある。

「お前がお前の自信のために頼られる道を選んだのに、礼節を求める」状況が生まれるのである。こちらの視点からすれば、頼ってきた相手の態度がこちらの自信につながるわけで、全く合理的なことを言っているのだが、人間相手の立場を完全には理解できないものである。だから形式的でもいいからと、礼節を求めるのである。

そういうわけで厄介ながらも頼れる自分を安売りしてきたわけだが、そうこうしてると面と向かって「安いなお前!」と言われるような出来事に遭遇することもある。頼られるのは好きなくせに人に頼るのはめっぽう下手な私が珍しく人を頼って相談したら、予想通り「安売りしすぎだ」と至極真っ当な指摘をもらった。だからといって安売りを自重すると、自己肯定感が量的に不足する。だから今日も、自分のリソースを振りかざして私は自分を売り込み続ける。自分のセールスポイントが尽きるまで。

貫通錯誤
カードゲームとボードゲーム(ゴールデンエッグラー,mtg,シャドバ,Blade Rondo,自作など)を嗜んでいます。カードゲーム、音楽、動画についてなどと、根強いファンを誇りたいショートエッセーの現代錯誤という連載を書いていきます。
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