祝 ICE30周年

こんにちは、蒸気機関車の構造を知るために流体力学をやろうと思ったら開始2秒で挫折したIBKです。

今年はなんとドイツの高速鉄道ICEが開業してから30年という節目の年です。そう、実はICEは1991年の開業なのです。日本の新幹線に比べると遅いのですが世界基準でいえばこれが普通です。日本の新幹線がいい意味でおかしいだけです。それにしても終戦からたった20年弱で200㎞/hを超える営業運転をコンスタントにできるなんて世界中が驚いたことでしょう……

さてICEの歴史をざっと振り返ってみます。

ICEの構想は1971年のインターシティにその起源を求めることができます。インターシティは西ドイツ国鉄が考案した特急列車のネットワークです。中規模の都市が多いドイツ国内を2時間おきに結ぶというものでした。この計画は成功し、1979年からは2等車が連結され、時間も2時間間隔から1時間へとより利便性が向上しました。そして1989年のドイツ統一後徐々に東ドイツ地域にもそのネットワークを伸ばしていきました。

同時に出てきたのがインターシティの上位種別、ICEの構想でした。当時のインターシティを補完する目的で最高速度250㎞/hを目指すものでした。1985年に試作車が完成し、1991年には試作車を基に専用機関車と客車が完成、営業が開始されました。当時はドイツが統一されて間もない時期だったので開業セレモニーはそれはそれは盛り上がったそうです。

ICEは好評でどんどんネットワークを増やしていきましたが1998年、ニーサーザクセン州エシェデでICEが金属疲労により脱線し死者101名の大事故が起きました。直ちにICEは全車が一斉休車となり、下位種別のインターシティが補完役となりました。その後ICEは多電源型の形式が誕生しスイス、オランダ、ベルギー、デンマーク、オーストリアなど近隣諸国にその路線を伸ばし、現在のDB(ドイツ鉄道)のフラッグシップとして大活躍しています。

さて2021年現在活躍しているICEはICE1、2、3、4、T、Velaro D、(TD)の合計6種類(7種類)です。ICE−TDはもともとのデンマーク方面の運用から引退し、検測車として活躍しているようです。

ICEの塗装は開業以来変わっていないように見えますが実際はわずかに変わっています。1991年から1998年頃までは西ドイツ国鉄が1988年から導入した東洋赤色(Orientrot)と呼ばれる帯色でしたが、1998年以降徐々に現在の交通赤色(Verkehrsrot)に塗り替えられていきました。1998年以前のICEを見ると赤いラインの下に薄いピンクのラインが入っているのが見えると思います。

ドイツ鉄道は2026年までに現在のインターシティを全廃し、ICEとIC2という近郊型車両に置き換える計画です。71年よりドイツの交通を支えてきた優等列車が引退するのは悲しいですがICEがその後を引き継いでくれることでしょう。

ICEは今後さらに発展予定です。グローバル化が進む中でヨーロッパ大陸での鉄道需要はどんどん増加するでしょう。皆さんもぜひ乗りに行ってみてくださいね!

以下ギャラリーです。

ICEの試作車、InterCityExperimental (画像左 ミュンヘンにて)
亜幹線用の振り子式ICEのICE-T (ニュルンベルク中央駅にて)
シュトゥットガルト中央駅で発車を待つ国内最速のICE、ICE3 (画像右 シュトゥットガルト中央駅にて)
2026年に全車引退が決まっているインターシティ(IC)。東西ドイツ統一を経て走り続けるベテランだ (シュトゥットガルト中央駅にて)
初代インターシティをけん引した西ドイツの103型電気機関車。その活躍から名機と呼ばれる (ニュルンベルク交通博物館にて)
最新型のICE4。最高速度は250㎞/hに抑えられ、様々な路線で活躍の予定だ。(ニュルンベルク交通博物館にて)
インターシティ用の機関車も登場から30年近く経とうとしている。世代交代は目の前だ。 (ニュルンベルク中央駅にて)
在来線と同じホームで発車を待つVelaro D (画像左 ミュンヘン中央駅にて)
オーストリアの高速列車、レイルジェットと並ぶICE (画像右から2番目がICE、3番目がレイルジェット。ミュンヘン中央駅にて)

ではではー

IBK

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