こんばんは。鬱憤のネリ消し。現代錯誤のお時間です。
この文章は7/23に書き始めたものです。その続きを8/1に書いているところです。が、 何を書こうと思っていたか当然忘れています。唯一のヒントは「鬱憤のネリ消し」ですが、まるで意味がわかりません。
などと言っているうちに書くネタが思いついた。この時点で違和感を覚えた方もいるだろうが、今文章が突然常体になったことにお気づきだろうか。現代錯誤は敬体だが、それ以外の錯誤は常体である。間違いなく私の気まぐれだが、今更直すわけにもいかない。
この後に書く内容を迷って迷って迷い続けた末に筆を置いたら8/2の23:00になっていた。これが何らかの原稿だったらと思うとゾッとする。トビログに無駄に感謝しているところである。
そんな感謝をよそに、残酷な事実がまたしても私を襲う。書くネタを忘失したのだ。時々錯誤に書く内容などどうでもいいらしい。脳の容量をミリも使わせてもらえない。不憫な時々錯誤君である。
前回の時々錯誤にも書いたが、現代錯誤はちょっとした風刺を盛り込むことを意識している。
下書き
下書きにはこの一文だけが残されていた。ここから何を話したかったのだろうか。それを知る昨日の私は一昨日へと去ってしまった。タイムリープでもせねば思い出せないだろう。
ここまでの文章を振り返りながら、文体の話をしていた時に調べた「だ体」と「である体」の違いを思い出す。どこぞの大学教員曰く、両者は別物であるらしいが、文末の「だ」と「である」が与えるニュアンスはどう考えたって違うものだろう。斯く様な駄文如きでそこまで気にする読者もいまい。気にせず書き進めたいところだが、生憎記事のネタを忘れ去っている。
書くネタがないことがネタの現代錯誤は書いたことがあるが、書くネタを忘れ続けるのもまた悪くないだろう。認知症予防になるとかならないとか聞いたことだし、この夏はけん玉でもやることにしよう。懸命な読者諸君は、今回の記事が大幅に遅れて更新されたことを今頃忘れてくれているはずだ。
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