記事を書くために必要なものは二つしかない。一つは時間的ゆとりで、もう一つは窮屈さである。
時間が必要なのは至極当然である。1000字程度のこの文章の執筆にも、考えるところから数えて毎回一時間くらいかかっている。公開当日の朝は筆を滑らせている時ほど、スリルを味わえることもない。今まさにスリリングである。
さて、問題の「窮屈さ」である。二つの意味でこれは重要であるといえよう。一つは時間的な窮屈さで、もう一つは精神的窮屈さである。
時間的な窮屈さが重要な理由は、ほとんどが「火事場の馬鹿力」と言う言葉で説明ができる。要するにそう言うことである。追い詰められたときに出てくる言葉は、そこそこの確率でイケている。
他方、精神的な窮屈さが重要なのは、それが記事の題材になるからである。少し昔に、「なぜ再び筆をとったか」という記事を書いた。要は心に何か突っかかることだったり、「モヤモヤ」と呼ばれるものだったりがあるときにしかものは書けないというようなことを言っている記事である。生きていて何も思うところがなければ記事にすることなどない。裏返せば、生きづらさやちょっとした理不尽な発見を擦ってこの記事が書かれているといえる。
と思っていたのだが、実際はそうではないようである。貫通錯誤がこの連載を更新していない間、完全に何も思うところがなかったかといえば全くそんなことはない。あらゆる知人と会うたびに、その時騒がれている時事ネタを擦って嘲笑っていた私である。不平不満を探しにいっていると言われても言い返せないほどである。
では、そうでありながらなぜ記事を書かなかったか。鍵となるのは「分散」である。友人が12名しかいないことで有名な私だが、それでもいくつかの「顔」を持っている。トビログ、本業、趣味に関わるコミュニティ、家族など、そうした広い意味での「コミュニティ」への参加数が増えたから、記事を書かなくなったのではないかとする仮説である。
昔の私はひどく狭いコミュニティにしか属していなかったので、たとえばトビログで感じた不満を昇華すら方法を多く持ち合わせていなかった。どころか、トビログで不満を感じそうであると予感しても、それを避けることができなかった。避難先がないからである。だからこそ蓄積されてしまう感情が、記事執筆の源泉となっていたわけである。
しかし今は逃げ場をいくつか持っている。コミュニティの分散によって感情が発散され、幸いにも生きやすくなった。逃げる場所があることそのものよりも、「いつでも逃れられる」安心感が不平と不満をかき消してくれたように思う。しかし、そのおかげで、不幸にも記事が書けなくなったのだ。
欺く様に自分に起きる現象を表現することに、微かながらも意味があることを知ったのが、最近の発見である。
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