時々錯誤 10/31 物理リツイート

感動は時に人を動かすというが、時に筆をも走らせる。私は今、「多忙の折」というやつの真っ只中にいる。明らかに2週間に詰め込んで良いタスクの量ではない。そんな状況下にあって、しかし移動時間の隙間を縫って記事を書けているのは、紛れもなく、私が感動に筆を走らされているからである。

私の最近の興味は、もっぱら、自らの行動が起こされた理由を知ることにある。今の私の状態は「記事が書きたい」であり、私はその理由を見出すことに価値を感じている。

冒頭で「感動は人を動かす」と言ったが、もう少し細分化してみたい。私の仮説においては、感動はおそらくダイレクトに人を動かしていない。人が行動を起こすときの理由は大きく2つ、外発的要因と内発的要因に分類できる。前者は金銭など実利に絡む理由で、後者はモチベーション的な観点である。感動が人に実利をもたらすことは稀である。ゆえにおそらく、感動は人をモチベートすることによって、行動に結びつけさせている。

例えば素晴らしい映画を見た後に、映画を作りたいと感じ、撮影を始めたとしよう。映画監督の卵が撮影に至ったのは、素晴らしい映画に触発されて、「自分もいい映画が撮りたい」と願望を抱いたからであろう。手段は映画撮影に限らないが、大抵の場合、得た感動の再共有が、行動を起こす主たる目的となる。再共有というと、自分の知り得た感動を広く知らしめるイメージが湧くかもしれないが、実際そうとは限らない。感動を与えてくれた張本人だけに、「感動を受けた」その事実を伝えることも、感動の再共有の一つの形である。

眠い目を擦って生み出されたこの駄文によっても、再共有が叶うことを願いたいものである。全く不器用な私だが、この記事を読んでいるあなたも、それは同じはずである。

貫通錯誤
カードゲームとボードゲーム(ゴールデンエッグラー,mtg,シャドバ,Blade Rondo,自作など)を嗜んでいます。カードゲーム、音楽、動画についてなどと、根強いファンを誇りたいショートエッセーの現代錯誤という連載を書いていきます。
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